渓流に行きたくても行けないときは近所の小川で
フライフィッシングといえば、深い山奥の渓流や美しいイワナ、ヤマメを思い浮かべる方も多いかもしれません。でも、もし身近な住宅地のそばを流れる小さな川に、思わず夢中になってしまう魅力が隠れているとしたらどうでしょうか。
派手な景色も特別な魚もいないはずなのに、そこは、なぜか足を運びたくなる不思議な場所です。気が付けば、わたしはすっかりその魅力の虜になっていました。
今回は、渓流より身近な小川でフライフィッシングする理由を述べていきたい思います。
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シーズン初のフライフィッシングの数日前、折しも季節外れの台風に見舞われた。急斜面を滑り落ちるように平野へ注ぐこの川の水位は、あれよという間に2mにも達し、都会のど真ん中に茶色の濁流を作り出した。
しかし、雨が降って水位が上がるのも早ければ、水が引くのも早い。瀬脇にたまった分厚いコケは跡形もなく消え、人間が生み出したありとあらゆるゴミは、全て下流へと押し流された。清流の秘境だ。
コンクリート護岸から眺めるだけでは到底理解できい、緑豊かな無垢の自然が広がっている。これを自宅の近くで味わえるのだから、やめられるはずがない。
シーズン初釣行はいつだって感動するもの
ウェットフライでテンカラを混ぜたようなもの
ウェーディングシューズとステッキ、そして腰巻きのライフジャケットを準備して、ずぶりずぶりと川の中へ入っていく。昨年とは幾分川の流れ方が変わっているようだが、魚が居付くポイントはそう簡単に変わるものではない。
7.6ft #2のフライロッドを手にとって、アップクロスでウェットフライを流し込んでいく。6月も過ぎれば水温が15℃以上あり、魚たちの活性は上々のはず。それが証拠に、キャストのたびに1/4程度の確率で、3秒以内にパシャリと水飛沫が上がる。水面には反応が出なくても、ギラリと銀鱗が水中で暴れまわることさえもある。
だが、なかなか竿に乗せられない。相手が小さいのだろうか。それとも、わたしの腕が半年ぶりでなまっているのだろうか。
となれば、こちらもテンポよく釣りあがって、フッキングできそうな大物を探し出すのみだ。フライフィッシングであれば、丁寧にプレゼンテーションをしてじっくりと魚を誘い出すところだろう。だが、テンカラあがりのわたしには、この狩猟的な釣り方が性に合うのだ。
初釣果はすれ違いの先に
やがてその時を迎えた。左手でフライラインをホールすると、するりするりと小さな弧を描きながらターンしながら飛んでいき、やがてペタッとティペットが鏡のような淵の水面に貼りついた。我ながら上出来なプレゼンテーションである。
……ピッ
悦に浸っていると、小さな水紋、10m先だ。
今だと鼻息荒く右手でロッドをスンと立てると、僅かな重みが感じられ、魚が飛び出したように見えた。しかし、慌ててフッキングしたので、左手に留め置いてあったはずのラインが手から外れて水面へと落下し沈み込んでいく。大きなたるみが生まれてしまった。
これでは何が起きているのか分かったものではない。釣れているのか、釣れていないのかさえだ。
仕方がないので、落ち着いて水面に浮かんでいるラインを拾い、せっせと手繰り寄せる。しかし、いくらリトリーブしても重みが感じられない。思いとは裏腹に、水中からラインが返ってくるばかり。足元で大きなループになる一方だ。
やっぱり駄目だったのか……と思った次の瞬間、プルプルとした手ごたえが伝わり、竿が弓なりにしなり水中の魚を指し示した。その距離、残りわずか3m。ここにきて、やっと互いが釣り、釣られたことを認識したのだ。
突然生まれたゼロ距離ファイト。となれば、やることはただ一つ。一思いに竿を真上に立てると、相手は万事休す。観念して水面を引きずられるようにしてネットへと吸い込まれていく。感無量だ。
人はなぜ、どんな魚でも釣れると嬉しいのか?
その後、スウィングで良サイズのカワムツを釣り上げたが、先ほどのオイカワほど充足感は得られなかった。何回迎えても、シーズン初釣果は手が震えるほど嬉しく、深く記憶に残る。世の中にはネット上に大量の情報があふれ、ついつい無いものねだりをしてしまうが、人間というのは思った以上に素朴にできているのかもしれない。
そう断言するのは、このどこにでもある都市部の小川で行うフライフィッシングにハマっているからだ。わが家からは、イワナやヤマメたちが放流される渓流部まで車で20分足らず、秘境のような源流域でも車と徒歩で1時間半もかからない。
それなのに、大規模な駐車場に団地、さらに戸建てが建ち並び、天下の国道を24時間トラックが渡り続ける橋のかかるこの川に、毎週のように来て毛バリを飛ばしている。自分でも不思議でならないが、よく考えれば、いくつか理由が思い当たる。
まずは、今まで述べた通り、オイカワやウグイ、カワムツでも予想以上の充足感があることだ。元来、人間は狩りをする生き物だ。だからこそ、どんな魚を捉えても心が満たされるようDNAに刻まれているのだろう。とは言え、これは感覚的なもので確証をもてる話ではない。
そんな話は置いておいて、なぜ、この都会の小さな小川で釣りをするのか? その利点を述べたいと思う。
見向きもされない都会の小川でフライフィッシングする理由
知れば病みつきになる身近な秘境
まず挙げたいのは、フライフィッシングをするのに最適な環境であることだ。残念ながら都市部の川は得てしてコンクリート護岸となっていることが多い。しかし、言い換えればバックキャストで人に当たる心配はないともいえる。
周囲より一段低い川の中でなら、習得が難しいといわれているキャストの練習が心置きなくできる。もし、夢中になってラインを出し過ぎても、後方の他人にぶつかる心配もない。
また、背後に迫る護岸さえ気にしなければ、渓流と比べて障害物は極めて少ない。フラットな水面をを邪魔になるのはススキやアシぐらいなもので、7.6ft程度の竿なら十分に雑草の頭上をかすめるようにフォルスキャストができる。さらに、小川には淵やトロ瀬が多く、メンディングの練習に最適だ。
ここにはトラウトこそいないが、フライフィッシングの生まれ故郷である欧州の河川そのものといえる。
しかし、渓流、とりわけ秘境である源流域ではこうもいかない。頭上には木が生い茂り、足元には大きな岩石があり、そして河川そのものが急峻だ。普段から登山に慣れ親しんでいたとしても、移動には常に転倒や滑落のリスクが付きまとう。十分な装備と登山計画、食料、水分、エマージェンシーキット、緊急時の通報手段などを全て確保していたとしても、一人で山に入るハードルは極めて高い。
さらに、昨今では危険生物の存在も釣行の障壁となる。その代表であるクマはもちろん、イノシシやスズメバチ、ヤマビル、アブ、マダニなどだ。いまや釣行流域の情報把握は必須事項ともいえる。
それを考えれば、都市部の小川は気楽なものだ。気を付けたいのはヘビと蚊ぐらいなもので、双方ともウェーディングしていれば遭遇することはない(たまにアオダイショウが川を渡っているが、彼らは臆病で毒も持っていない)。四足歩行の獣はタヌキか野良猫ぐらいなもの。八本足のモクズガニを見られればラッキーなぐらいだ。
近所の小川には、自然を満喫してリラックスしながら、フライフィッシングに集中できる環境が揃っている。
食い気のあるコイ科の魚たちがお出迎え
そもそも、山岳地帯は栄養源が少ないエリアだ。そこにすむ渓流魚たちは、常に厳しい生存競争にさらされている。弱肉強食の世界であるため、個体数は圧倒的に少ない。
さらに、都会に近い渓流は、大自然を求めた釣り人が押し寄せるため、常日頃から強いプレッシャーを受けている。人影には極めて敏感で、興味は持てど、絶対に口を使わないスレた魚ばかりなのだ。
ゆえに、大々的に放流しているような河川であっても、解禁日でもない限り、初心者が一人で彼らに出会うことは難しい。
しかし、小川の小魚たちは違う。水生昆虫はもちろん、豊富なコケや流れ落ちてくる植物の欠片、さらに陸生昆虫の死骸など、フードコートのような世界で生きている。数も多く、餌にも貪欲だ。
さらに、釣りのターゲットにされることも少ないから、スレてもいない。誰でも簡単に釣果にありつけるのだ。
実際、初めてテンカラをしたときも、初めてフライフィッシングをしたときも、少ないながら魚を手にしている。
もちろん、渓流釣りを全否定するつもりは毛頭ない。奥深い山々の中にあるせせらぎからしか満たされない充足感があるのは、間違いないことだ。それに憧れ、装備を整え、奇跡の一匹を釣り上げた時の喜びはまたとないもので、一回一回の釣行そのものが一生の記憶となる。
だが、そればかりを求めて、ハイリスクの残雪期や真夏の釣れない時期、さらには禁漁期間を家で悶々と過ごすのは、どうにも性分に合わない。この記事を読んでくれている釣り人も、きっとそうだと思う。
そんな時こそ、身近な大自然のフィールドに出てみよう。どんな都市部でも、自然の豊かさに驚くはずだ。


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